空気を読む人、空気を読めない人
「空気なんて読まなくていい!」
という風潮が広がっている昨今ですが、私は空気を読むのって悪い事ではないと思うんですよね。
「空気なんて読まなくていい!」
「空気読むのやめました!」
という人は空気を読んで苦しくなっている人たちの【解放されたい空気】を読んで、そのように発言している世界で最も空気を読む人たちなのだと思います。
※本当に空気を読まない人は、苦しい人たちの空気にも気付きません。
空気を読むのは悪い事、
空気を読むから苦しくなる、
本当に生き辛いのは「空気読み」のせいだけなのでしょうか?
本当は違うところに根っこがあるように感じます。
私は19歳の頃から24年間接客業をしているので、空気を読むということは得意です。
その場の空気を読み、相手の望むことを察知し、相手望むことをそっと手渡す。
それが仕事で大切なスキルだからです。
それでも特にストレスを感じないのは、周囲の人と調和していくための「スキル」の1つとして自覚的に空気を読んでいるからだと思います。読みそこなう時も多々ありますが。(笑)
もちろん、必要があれば自分の意見も考えも述べますが、相手を無駄に傷つけたりしないように配慮と伝える工夫をします。
一緒にいる相手と楽しい時間を過ごすことが私にとっては大切なことだからです。
空気を読むのがNG、
空気を読まないのが良い事、
だから空気を読まない自分にならないと!
という気持ちの根底には「今のままの自分ではダメ、何かを変えなければいけない」という自己否定が潜んでいるんですよね。
そこに手っ取り早そうな「空気を読まない」が現れた。
だから「空気を読まない」に反応するのだと思います。
時々見かける謎の「いい人辞めます」宣言も同じ。
根っこにあるのは、人と上手に関わることができないことへの自己否定。
本当に自分を肯定している人は、空気を読もうが、自分の声を飲み込もうが、それをダメだとは思わずに「その場に適した行動を取っただけ」という感覚なんですよね。
だから自然体でいられるのだと思います。
大切なのは、空気を読むとか読まないという表面的なことではなくて、
「その場で一番大切にしたいものは何なのか」
「人としてどう在りたいのか」
を自分が知っておくことだと思います。
そしてそれは、自分の在り方・大切にしている世界観を大切にするということです。
何でもオーマティックに無自覚に行うのではなく、自分が何を大切にしたくて、その行為をしているのかを自覚することで「空気を読む」という行為の意味も質も変わってくると思います。
そして、きちんと自覚することで、自分の中心にブレない軸が生まれ、周りからの評価も、周りに伝わる魅力も全然違うものになっていきますよ。
0コメント